だったシリーズ5 ピアニスト



僕はピアニストだった。
雪ちゃんは藤間流の名取で小さい頃から日舞をやっていた
が、本音はピアノを習いたかったそうである。たまたま
友達が習い始めて、一緒にやりだした。人が一生懸命やっ
てると自分もやりたくなるものである。これが僕のつらい

ピアニスト人生の始まりになろうとは。。。
何家族かが集まって持ち回りでコンサートやりましょうと
言う事になって、僕も出たらと言う事になった。でも1ヶ月
もない。先生に相談したら「Xmasだしジングルベルは?」
「むむっ。大人の僕がそんながきんちょの曲嫌じゃ」と見栄
をはりフランシスレイ「白い恋人達」やると決めた。決めた
はいいが譜面も読めないし、ドレミもちゃんと弾けない。
大学受験の時よりも激しく練習して発表会で自信たっぷりに
弾いた。ほめられた。でもそこが僕のピアノ人生の絶頂期だ
った。大人になって楽器をやる人はつくづく忍耐だと思う。
子供もつたないドレミで始まるが、ある時から魔法のように
手が踊りだして、幻幻想即興曲や月光の第3楽章が弾けるよう
になる。また、曲を聞いてピアノですぐ弾き出す。悲しいか
な大人にはこういう瞬間は訪れない。しっかり練習しても
ぱっと閃いて踊るように弾けるようになる事はない。必死に
練習してやっと弾けるようになった時以前練習してた曲はも
う弾けない。いつでも1曲なのである。性能の悪いPCでさえ
こんな事ない。
写真は臆面もなく先生の発表会で雪ちゃんと連弾した。先生
と連弾するのはどう弾いても先生がごまかしてくれるから、
安心。でも初心者同士は不信感でいっぱい。相手が間違うと
必ずこちらもこける。案の定止まった。皆さんにお辞儀して
もう一回やらして下さいとお願いした。
鹿児島に来る時全て処分したから、今は家にない。でも最近
電子ピアノ位は練習しようかなと思う時がある。ま、ホロビ
ッツが90歳位でホワイトハウスで弾いたようにはなれるわけ
もないが、じいさんでピアノが弾けるのもいいかなと。

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